「自分勝手」と「自分軸」について

こんばんは!

 

昨日のAM10時に

新型コロナウイルスのワクチンを打ってきました。

終えた後の副反応はぜんぜん!

・・・と思ったのですが

刺客は深夜2時頃やってきました 汗

寝返りを打ったとき、左上腕部に激痛

硬式野球のボールを、弾丸ライナーで受けると

こんな感じかなってくらいでした。

でも、“かいほうワーク”を施したら痛みレベル30%に軽減
その後はぐっすり眠れたゆうじです^ ^

 

さて、今日は

「自分勝手」と「自分軸」について

 

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自分勝手に生きることと

自分軸で生きることは違います。

 

 

似ているようで全然違います。

 

 

自分勝手に生きることは

「まわりをみないで(関心を示さず)、ただ好き勝手すること」

 

 

対して自分軸で生きることは

「まわりをみながら(関心を示しつつ)、自分は今どうあるべきかを考え

自分の心の声に従って生きること」

 

 

まわりを「みない」と「みる」

では、そこに大きな隔たりがあると思うんです。

 

 

まわりをみないということは

「状況がどうであるか」

「相手がどう思うか」

を観察する意識もないわけです。

 

 

それなしで、共同生活は成り立っていきません。

 

 

もっとも

「自分は完全、孤立して生きる」

宣言し、割り切っている人はいいかもですが

 

だとしても、どこかでなんらかの繋がりがあって

人は生かされているわけです。

 

 

それを仏教では

「諸法無我」

と言います

 

 

 

たとえば、一枚のパンを食べるについても

自分の口に入るまでには

様々な人や、たくさんの行程を経て

”やっと”なわけです。

 

 

その流れをまったくみないで

みようとしないで

 

 

これは食べたい気分じゃないから

と言って

一口も口にすることなく遺棄してしまったとしたら

ちょっと、それは違いますよね。

 

 

ちゃんとまわりをみたうえで

それでも私はこうしたい

こうするのが私にとって自然である

ことを認め

 

 

それを優先させるところに

自分軸の本質があるんです。

 

 

当然、そこ(自分を優先させる)には

勇気が伴います。

 

 

それでも自分が

自分軸を持って今ここにいられる

そのことに対して

 

 

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ありがとう

「今ここに、自分が有ることが難い(ありがたい)」

という感謝と

 

 

すみません

「自分軸で生きている私を受け入れてくれるまわりに対して

その、恩返しがまだ済んでいません(すみません)」 

という謙虚な気持ちが湧いてくる

 

■■■■■■■■■■■■■■■■ 

 

のでは

と思います。

 

 

*ちなみに「ありがとう」「すみません」の語源は禅的にはそのように言われてます。

 

 

 

ゆうじ

 

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