ちゃんと嫌う

「友達100人できるかな」

という歌詞があるように、

友達を沢山持てたらいいな、そういう人になりたいな、

そうでなくちゃやっぱりダメだよね。

そんな考え方は、誰の心の中にも無意識の内に宿っています。

けれど、それを基準にしてしまうと大変厄介なことになります。



人が100人いた時、

その内の2割は「この人と会話してもいいかな」と思ってくれる可能性がありますが、

それ以外は全く興味を持たないか、アンチになる、という統計があるそうです。

つまり100人と出会っても、

そのうちの20人くらいしか繋がれる可能性は無いわけです。

私は過去に、

人に好かれたくて(そして人に好かれている人間というステータスが欲しくて)、たいして好きでもない人に媚を売っていた時期がありました。

気を遣って。
相手にイイ気分になってもらいたくて。

または、
この人にもいいところがあるんだし…」と無理やりいいところ見つけをして好きになろうと努力したりして。


それらの根っこには、「相手からも好いてもらいたい」という下心がありました。


その戦法は失敗でした。


本当に好きな相手や仲良くしたかった人達には、
「誰とでも仲良くする人」という、可もなく不可もない印象しか与えられず、

または「どこのグループにも属さない人」つまり、

「きみちゃんならきっと○○ちゃん達と仲良く遊んでいるだろう」という誤解が方々で生まれ、結局誰からも誘われない…という謎現象を引き起こしました。

そして、
本当は嫌いな相手や仲良くしなくない人達からは、

歪んだ「好き」の感情を引き出してしまい、執着や粘着されたり、
逆にぞんざいな態度を取られたりしました。

それに耐えかねて相手を拒否すると、
「酷い!」「私はこんなにもきみちゃんが好きで信じていたのに…すごくショック…傷ついた」と言われ、互いにとって最悪の後味で縁が切れたりしました。


そんな経験を何度も繰り返すうち、私はようやく理解しました。

「ちゃんと嫌わなければダメなんだ」

と。


思い返してみれば、

後者の人たちは、出会った当初から「違和感」がありました。

言葉で表現するのは難しい感覚ですが、しいて言うならば、

自分には「フィットしない」。

そういう感覚を覚えていました。

動物の本能みたいなものかもしれません。もしくはインスピレーションだったのでしょう。

私は、その感覚を大切にしなければならなかったのです。

当時もそれに一瞬は気づいていたのですが、すぐさま心の隅に押しやってしまいました。

なぜなら「好かれたかった」から。
「人を嫌いになるなんてダメ」と思っていたから。

そして、
「沢山の人と和やかに仲良くなれる人間になりたかった」
からです。

でもそれとこれば別だったのです。
自分の気持ちを無視して、嫌いな相手に無理やり人に繋がっていくのは間違いでした。

もしかしたらあなたにも、こうした経験があるかもしれませんね😊




【嫌いな相手をきちんと嫌いになる】

これはとても大事なことです。

嫌いだという感情を相手にぶつける必要はありません。
ただそっと距離を置くだけでいいのです。

【自分の心に素直になり、それを漏れなくきちんと聴いてあげ、無視しないで、実現してあげる】

こちらも同じくらい大切なことです。

その方が、まやかしの仲良しで良い顔をするよりも何百倍も、
誠意と思い遣りのある態度だと、今の私は思います。

きみこ