今日はSさんのお話をしますね。
Sさんは僕より20歳くらい年上の方ですが
前回お話しした守山区の検車場に配属された時の上司です。
当時SさんはAさんと並んでその検車場を牽引している
いわばなんでも仕事ができて早い
スーパーマンのような人でした。
配属後3ヶ月経った頃でしょうか。
僕は年齢層が極めて高い職場に配属され
半ばふてくされてた頃のことです。
職場の歓送迎会が催されました。
会が終わり後片付けをして
お風呂に入った時のことです。
(エンジニアの仕事なので、就業時間を終えた後は会社の風呂に入って帰るのが習慣でした)
僕は一番下っ端なので、片付けして最後に入ったため
他の方は出られSさんと2人きりに。
じつはそれまで、Sさんとは会話したことがなく
超前向き、ポジティブなSさんですが
人見知りなところもあり
併せて
まったく環境が異なった〇〇刑務所に配属された自分(ものの例えです:笑)💦
相当 凹んでました。
なので、そんな眩しいくらいにポジティブマインドなSさんには
気後れして話辛かったところも。
2人とも会話なく
なんか気まずい空気がずっと流れてる・・・
そんな、黙々と頭を洗ってる時。
「前進あるのみ」
と言う、自分に言い聞かせる独り言のようにも思えなくない声が耳に入ってきました。
“えっ、誰かに話されてる?
いや、でも俺しかいないし“
少し間を置いてから
「あ。。。はい」
Sさんは
当時、ふてくされて職場に溶け込もうとせず
孤立してる空気を覆っていた僕を慮っての言葉だったんでしょうね。
“そうか、俺、やっぱネガティブな空気、醸し出してたんだな”
と、感じる反面
“こんな爺さんばっかの職場に21歳そこそこの自分が入ったら、腐って当たり前だろ”
くらいに思ってる自分もいました。
結局、風呂での会話はそれだけでしたが
それから数日後
僕は前述のAさんとSさんのもとで仕事をするようになりました。
Aさんが鬼軍曹なら、Sさんは見かけと違い
打ち解けてくると、とても面倒見の良い気さくな方
しかも気配りが凄くて、メチャメチャ優しい方でした。
そんな二人のもと
僕はどんどん仕事を覚えました。
仕事への向き合い方を学びました。
そして、前向きに生きていくことの大切さを学びました。
Sさんに対する尊敬の気持ちは日増しに膨れ上がったきました。
「自分もこんな人になりたい」
いつしか目標となる先輩に。
そんなSさんとのエピソードはたくさんありますが
今日はその中でも一番印象に残っているのをお話ししますね。
Sさんは明るくて超ポジティブな方ですが、好き嫌いが激しく
好きな人にはとことん面倒見が良いのですが、
嫌いな人に対しては、まったくクールな対応をされる方でした。
話も必要以外されない方でした。
職場にはSさんが大の苦手とするIさんがいました。
Iさんと仕事上、どうしても話をしなければいけない時も
誰から見てもあからさまに
“嫌い感”が観てとれるような。
何せ
Sさんが公休日に、Iさんのヘルメットが壊れ
Iさんが公休日のSさんのヘルメットを無断で借用されたときは
烈火の如く怒りをあらわに
「こんなヘルメット、もう使わん!!」
殴り捨てるように焼却炉に放り込まれるような方ですからね。
ある日のこと
Iさんが担当した仕事で、大きなミスがみつかり
その整備車両が運休となりそうな事態に。
(電車を1本運休すると、何百万の、ことによると何千万の賠償となるみたいです)
これは大変
人為的なミスの場合、本社の方で賞罰委員会というものにかけられ
なんらかの処分を受けることは必須。
その処分いかんによっては、減給や退職金に及ぶことも。
そのIさんは定年間近の方で、このミスが発覚すれば、せっかく愚直に40年働いてこられたことが泡にもなりかねません。
出庫時間まで残り2時間
絶体絶命
万事休すといったところでしょう。
そこでSさんがとった行動がすごかった。
「とにかくこれ、みんなでカバーするぞ
みんな自分の仕事は後回しにして、モーター取り替えるぞ!」
僕は驚きを隠せませんでした
“あれだけ嫌ってたIさんのために、Sさん迷いなく動けるんだ”
影響力のあるSさんの鶴の一声で職場総動員
みんなで修繕しました。
その甲斐あって
電車は“ギリ”出庫時間に間に合いました。
その後
IさんはSさんに
「ありがとう」
何度も頭を下げてみえました。
それから、犬猿だったSさんとIさんの関係も改善され
お互い冗談を言い合えるような関係にまでなっていきました。
そんな時です
Sさんは脳梗塞で倒れ
突然この世を去りました。
享年42歳
急な出来事で、まったく信じられなかった。
一緒にずっと仕事してて、飲みにも何度も連れて行ってもらって
ほんと、可愛がってもらえてたので。
Sさんがよくいた溶接場に行くと
ふっと物陰から出てきそうな
そんな感じが続きました。
先のAさんとの出会いも含め
○○刑務所の“せいで”
と思ってたのが
“おかげで”
いっぱい いろんなものを受け取ることができました。
おかげさまです
人はいつかこの世を去る時がきます。
故人に対して感謝の気持ちを示すには
自分が少しでも楽しく生きること
それが遺された者が唯一できる
供養かなと思ってます。
それを最初に教えてくれたのがSさんでした。
yuji