「どうせ自分は変われない」
「どうせやったって無理」
そんなマインドがどれだけ自分の可能性を制限させていることでしょう。
自分の中のなにかを変えたいと思う時って、決して偶然でなく必然だと思うんですよね。
その時、にわかに湧いてきたというのでなくて。
つまり、ずっと心の中で潜伏してた気持ち
「今の自分で良いんだろうか?」
との自問自答があるんじゃないかな。
それが
「このままじゃいけない」
と思うようになるきっかけを作る。
そんな気がするんです。
自分を変えるって
変えたいと思った時は、何らかの行動をそこにくっつけると良いような気がする。
それは断捨離だったり、ダイエットだったり、新しい趣味だったり、学びだったり。
僕の場合は思い切った“行動”により、何度も自分をリニューアルさせてきましたが、今日は20代半ばの頃のリニューアル話をしますね。
鉄道会社に勤めていたその頃の僕は、仕事もまずまずこなせるようになり
重要な仕事も任せてもらえるようになっていました。
ある意味天狗になっていました。
「自分が居ないとこの職場はまわらない」と
また、職場の人間関係も良く、日々仲間と楽しく過ごし、一見 何の不満もなく過ごしていました。
「でも、何かが自分には足らない・・・」
と、俯瞰でとらえている自分もいました。
人間って欲深いものですね。
充実してたら充実してたで、そんなこと考えるのだから (^^;
そんなある日
家でテレビを観てた時、ブラウン管(当時はハイビジョンがない時代でしたので)を通して、両足のない子や腕のない子がプールで競泳している姿が目に入ってきました。
そうですパラリンピックです。
(当時、まだパラリンピックという言葉が定着していない頃でしたが)
僕は愕然としました。
こんな言い方は不適切かもしれませんが
五体満足、なに不自由なく日常生活を送り、職場で天狗になっている自分。
週に少なくとも1度は栄に行き、吐くまで飲んだあげく、終電間に合わずいつもカプセルに泊っている自分
1日2箱近くの煙草を吸っている自分。
そんな自分の生活に対し、今思い返せばどこかで厭世観めいたものを持っていたのかもしれません。
「そろそろこんな今の自分、卒業しなきゃ」
僕はその時、決意しました。
『煙草をやめよう』
『お酒はつきあいもあるので完全にやめられないけど、せめてスナックが通いはやめよう』
って、
そして
『浮いたお金で、フィットネスクラブに行こう』
気づいたら僕の足は翌日、高蔵寺市にあるフィットネスクラブに向かっていました。
早々に入会手続きをすませ、さあエアロバイクに…
5分もペダルをこぐと、しんどかった。
でも、皮膚から生み出される雫には、ニコチンやアルコールなどの毒素が含まれてるみたいで、妙に心地よかった。
そこから、自分の世界は変わっていきました。
つまりスイッチが入ったんですね。
フルマラソン
ベンチプレス
スイム
そして、入会1週間後、僕は3ヶ月後の11月に河口湖マラソン(フルマラソン)にエントリー。
まわりに話すと
「無謀だ」
の一色。
順当なやりかたとしては
まずは4~5キロの市民マラソン出場
次にハーフマラソン出場
そしてフルマラソン
でしょう。
でも僕は、それを吹っ飛ばしてでも今、フルが走りたかったのです。
なぜか
カッコイイ言い方になるかもですが、自分の限界を知りたかった。
自分を試したかった。
そして自分に自信が欲しかった。
3ヶ月前からのにわか仕込みで挑んだレース当日
結果としては、途中歩きましたが3時間40分で完走。
まわりは驚いてました。
そして僕自身
「やればできる」
そんな確信めいたものを得ることができました。
この自信は以後の僕の人生にとって、とても貴重な経験となりました。
そんな経験からも感じますが、
自分を変えたいと思った時は
“思い立ったが吉日”で、気持ちが冷めないうちに何らかの行動をくっつけると良いような気がします。
変えたいと自分の頭の中で考えてても、なかなかマインドは変わりません。
変えたい→心の衝動→今やってみたいこと→行動 その数珠繋ぎが、勝手に変容を促してくれるとこ、あるような気がするんです。