こんな時だからこそ、夫婦関係について考えてみる

ふと、思いました。
このような状況(自粛生活)の中では、より家族の絆、夫婦の絆が問われるのではと。
自ずと家族一緒に過ごす時間が長くなってきてますからね。

夫婦関係って、捉えようによっては修練の場であり
捉えようによっては、凄い学びの場でもあると思うんです。
今日はこんな時だからこそ、夫婦の在り方について
考えてみたいと思います。

僕ら夫婦は友人の紹介で知り合い、27年前に結婚しました。
結婚当初は互いの未熟さゆえの喧嘩や、仲違いも少なからずありました。
ことが進むと顔も見たくない、口も聞きたくない
ってことも。
それぞれがもっともな理由をつけて
自分の価値観を押しつける。
そして、相手を服従させようとする。

あとでよくよく考えてみると、青スジ立てて怒ることでもないようなことばかり。
また、引っ込みがつかない状態になってしまうと、これがまた厄介このうえない (^^;

どこの家庭でも1度や2度
あるかもしれませんね。

そんな時は、なんだかんだごたく(正当な理由)をならべるが、本音のところでは、ぶっちゃけ
「自分の思うようにしたい」
だけですからね。
そんな心の背景には
「違いを認められない」
または
「認めたくない」
というエゴが見え隠れしてるんです。

今思うと、かなり自分は我が強かった….
ゆえに、きみこさんには随分悲しい思いをさせたんじゃないかな
とも思う。

でも、こんな自分でも、年月を重ねるうち得られたことがあります。
それは

「違ってて当然だし、むしろ違ってることで得られる恩恵(学び)の方が計り知れない」

という気づき。
さらにそのような気づきに至るまでにはこのような心の変容が。
それは

“相手に愛されることより、自分が相手を愛することが重要”

ということ。

エーリッヒ・フロムの言葉に

「愛は技術だろうか。
技術だとしたら、
知識と努力が必要だ」

というのがあります。
さらに

「何かをもらうために
与えるのではありません。
与える事自体が
この世で一番の喜びなのです。」

愛されることに意識を注ぐのでなく、愛することの方に意識を注ぐ
どうしたら愛されるかでなく、どうしたら愛することができるか。

ということですね。

さらにフロムは言います

未熟な愛は言う、
「愛してるよ、君が必要だから」と。
成熟した愛は言う、
「君が必要だよ、愛してるから」と。

順序が違うだけで、ぜんぜん意味合いが異なってきますよね。
互いに相手の足らない部分をあげつらうのでなく、補完し合う。
そこに、夫婦関係を前進させるポイントがあるように思います。

また、そのようなことが自然にできる技術が身についていけば、関係性を前進させることはさほど難しいことでないかもしれません。

夫婦という密接にして重要、かつ最少単位のコミュニティ
互いの違いを認め、相手を尊重するという課題をクリア出来れば、それは夫婦関係のみならず、それ以外の人間関係にもきっと応用・活かされていくことでしょう。

yuji