もう30年くらい前のことですが
僕は鉄道会社に入社したのですが
その頃の僕は
箸にも棒にもかからない
いわゆる、まったく使い物にならない(仕事のできない)人間でした。
ある時、人事部の人に呼ばれ
「君、やる気なかったら、いつでも会社辞めてもらっていいから」
とまで言われたくらですからね 苦笑
入社後3年が経ち
守山区にある検車場に配属されました。
そこは、スゴイ個性溢れる人ばかりの職場。
20代の僕と5つ上の先輩が1人
40代の方が1人
あとの9人は全て50代、定年近くの人ばかり。
僕は勝手に
『○○刑務所』と呼んでました 苦笑
その時の経験が、僕を大きく変えたように思います。
詳しくお話しすると
その検車場にはAさんというメチャメチャ厳しい上司と
Sさんというとても尊敬できる上司
その出会いによるところが大きかった。
今日はAさんのこと、話しますね。
Aさんは大正生まれの気骨溢れる
自分にも他人に対しても
とても厳しい人でした。
何せ、戦争でサイパンに赴任した時
食べるものが無くなったから
自分の履いていた革製の軍靴を煮て食べたような経験されてる人ですからね。
(後のオチは、下痢が止まらなかったそうですが )
そんなAさんについて仕事したわけですが
Aさんに口癖のようによく言われたのが
「仕事は見て覚えるもの」
「一を聞いて十を知れ」
「想像して仕事しろ」
昼休みは1時間とることになってたのですが
昼ご飯を食べたら、すぐ仕事
「いつまで食べとる、仕事行くぞ!」
(えっ、あの、まだ40分も昼休みあるんですが・・・
しかも、そんな急ぐ必要もない仕事ですよね)
みたいな。
心の声を、口に出すこともできず
ついていったこと、何度もありました。
それだけならまだしも
何もなければ18時に仕事は終わるのですが
そこからがまた大変。
近くの酒屋に行ってワンカップ大関やら缶ビール
スルメなどを買い込み
その酒屋さんの隣にある倉庫を借りて呑みながら反省会
(いくら常連とは言え、酒屋の店主に声がけしたとは言え、倉庫借りていいのかな?)
と、思いつつも・・・
「お前、今日のあの仕事なんなんだ!」
と、叱られる。
時間が経てば経つほど
お酒がまわり、どんどん目がすわってきてタチ悪い
何せ大正の気骨ですからね
「はい、明日から気をつけます」
Aさんに対してハラワタが煮えくりかえる思いをしました。
そんな毎日を送り
「もう辞めたい」
そんなことばかり考える毎日でした。
《続きは次回に》
