恨みは持っても敬いは忘れない」

 

ゆうじです ^ ^

 

今日は

 「恨みは持っても敬いは忘れない」

 

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先日、BSでこんなテレビ番組を放映していました

題名は

 

『340年ごしの和解

〜親鸞の血脈を引く二つの寺〜』

 

 

大阪に顕証寺と慧光寺というお寺がありますが

そのお寺の決裂と和解の一部始終を綴った

ドキュメント番組です

 

 

 

 

この二つのお寺、元は親類同士で営む

一つのお寺でした

 

ところが

ある行き違いがもとで

袂を分かつことに

 

 

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*補足

 

慧光寺の近松家が

西本願寺、浄土真宗本願寺派の近松家と絶縁し

東本願寺 真宗大谷派に鞍替えをしたのです

 

 

*浄土真宗は親鸞聖人が開いた宗派ですが

親鸞は当時のお坊さんには珍しく

肉食妻帯も許可していました

 

そのため、お寺が子孫代々受け継がれることが

浄土真宗のお寺では普通にあることだったそうです

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それが今年の5月、行き違いのもとを

検証し、340年越しの和解が成立したのだそうです

 

 

 

わけあって袂を分かった二つの寺ですが

それぞれこんな考えを持っていたそうです

 

それは、親から言い伝えられた言葉に表れていました

 

 

例えば慧光寺サイドでは

 

「顕証寺に近づくな

でも、敬いは持て」

 

 

 

つまり

「恨みは持っても、敬いは忘れない」

ということ

 

 

 

 

この番組をみた時

僕はこんなことを思いました

 

 

 

 

それは

悟りに向かって日々修練されているお坊さんですら

恨みの気持ちは湧いてくる

それを手放すことは難しい

そしてそれ(恨みの感情)を認めることも隠さない

 

 

 

しかし、それだけではない

「敬いを忘れない」

 

 

つまり、「恨み」という俗っぽいところと

「敬い」という戒めのところ

それを両立させた視点を持っているところが

素晴らしく思えました

 

 

 

しかも両方のお寺で

同じような考えを持っていることを知り

340年ごしの和解に向け歩寄った

 

 

 

それも、「敬いは忘れない」

があったからこそですね

 

 

 

ただ、「恨む」教えだけを子々孫々受け継いでいったのであれば

和解に至らなかったかもしれません

 

 

 

 

我々の世界でも

遺恨・決裂は、珍しい話ではないです

 

 

 

 

恨みの感情は持たないに越したことはない

重々承知してますが

こととしだいによっては

いたし方ない

 

 

 

 

そんな時、ただ恨むだけ

それを拡大させることだけに

意識を燃やす

執着してしまうと

結局、ボロボロになってしまうのは自分です

 

 

 

 

 

 

程度にもよりますが

恨んでも、憎んでもいい

しかし、いくら決裂しても

相手に対する「敬い」の気持ちは

持ち続けていきたいものです

 

 

 

  

例え、自分の代で和解が成立しなくても

次世代、もしくはうんと先の未来になるかもしれません

その先に奇跡が起きるかもしれません

 

 

 

そう思うことで、救われる

癒されるところも

人にはあるのではないでしょうか

 

 

 

  

その未来のためにも

余白を残しておく

 

 

 

うっすらとで良いので

つながるガイドラインを引いておく

 

 

 

そのような思考を持つことも大切なことかな

あらためて思いました

 

 

 

 

今日も読んでくださり

ありがとうございます。

おかげさま(=^x^=)

 

 

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自由に

自然に

自分らしく

 

 

 

  

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