すべからく最善を尽すことは大切
だけど、
自分の力を信じ
「自分がここを何とかしなければならない」
「自分がこの人をなんとかしよう」
「自分が助けてあげよう」
“自分”が強すぎると、その瞬間から変な力みが入る。
そんな時、大概は上手くいかないことが多い。
思うような結果にならないことが多い。
“自分の力を信じること”
と
“自分を信じること”
は、似てて非なるものじゃないかな。
あくまで個人のニュアンス論ですが
“自分を信じること”
の自分は
自分を含めた全体
全体を投影している自分
『一は全 全は一』
に通ずるような。
つまり、ここで言う自分(=すべて) は
「最前の着地点に到達できる」
と、信じることができる自分。
信じてるからこそ、力みが入る隙がない自分
そんなニュアンスを醸し出してるような気がするんです。
対して、自分の力を信じる時の自分は
“力”が加わることで、全体からセパレートされた自分
要するに“個の自分”
というニュアンスが加わるような気がするんですね。
もう少し掘り下げてみると
個の“俺”や“私”が
「何とかできなかったらどうしよう」
というエゴ(怖れや不安)が、入る隙間を作られてしまうような。
“力”だけに力みが入るような(変なダジャレぶっ込んですみません 苦笑)
まあ、責任感という観点でみれば、そう思って仕方ないんだけど。
でも、冷静に考えてみれば、そもそも思うようにしようとすること自体、傲慢な気がしません?
なんも考えず
ただ
目の前のこと
目の前の仕事
目の前の人
に、百%向き合えればどれだけ楽なんでしょう。
そして、それがどれだけ最高のパフォーマンスを生むことにつながるんでしょう。
あえて言うなら
『無の力』
とでも言いましょうか。
自分を信じることから紐付けされて生まれる、目に見えない大きな力のような気がします。
yuji