人間は、苦痛な体験をしなくても、学び気づき、成長することができます。
けれど、多くの場合、苦痛を通してそれらを得ることの方が多いように思います。
私は以前からよく考えていました。
戦後高度経済成長期の日本に生まれ、
生活に困窮することも無く、
私の人生はおおむね平和でした。
その間も、海外では湾岸戦争や部族間紛争は続き、
チェルノブイリ事故などの核の脅威もありましたが、
そういう意味では日本は平和でした。
もちろん、国内でも、
阪神淡路大震災や東日本大震災などの甚大な天災があり、
命の危機にさらされた人たちは大勢いました。
その中で私は「たまたま」それらを免れていました。
けれど、ふとした瞬間に思うのです。
「人の一生の時間=80年間くらいのスパンで世界を見た時に、
戦争に代表される有事や国難を一度も体験しないで天寿を全うする人なんて、
この世に一人もいないのでは?」と。
そうした中で起きた今回のコロナの一件。
世界規模で起きた人類の有事の渦中に、とうとう私も入ったのです。
でもこれはさっきのスパンで考えれば、特別なことではなく、
普通のこと=自然なことなのかもしれません。
(コロナウイルス自体は、もともと冬場に流行るいわゆる風邪の一種で、今回は新種というだけです)
有事から、人は何を気づき学ぶのでしょうか?
私なりの答えは、
☆日常の大切さや有難さ
☆大切な人とのつながりの温かさ
☆周りの人たちと自分が幸せに笑顔で生きていることの尊さ
☆人の優しさや協力し支え合うことの素晴らしさ
ではないかと思っています。
つまり【愛】を学ぶのです。
それを戦争で学ぶ人類は多いのでしょう。
反面、戦争ではかならず『相手』がいます。
『恨む敵国』があります。仇がいます。
怖れ憎しむ対象は、自分と同じ人間になるのです。
けれど、今回のコロナは違います。
敵国はありません。仇になる人間もいません。
全世界が向き合っている相手は、
【誰の人生にもはじめから織り込まれている変化】
であり、怖れ憎しむ必要も無く、その対象も人間ではありません。
強いて敵を上げるのであればそれは、
【自分自身の中にあり、誰の中にも必ずある「怖れ」】
ですが、怖れは愛で克服できるものです。
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もちろん皆さん同様、私もこんな有事は体験したくなかったのですが、
もしも人が天寿を全うするにあたり、
こうした「変化」がすでに全員に織り込まれているのだとしたら、
幸いなのかもしれないと思い始めています。
同じ地球の兄弟である人を恨まずに済むことを。
魂の兄弟である人々の、ありがたみと尊さを肌で心で感じられることを。
怖れの最中にありながら、愛を感じて乗り越えていく得難い体験をしていることを。
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起きてくることは、受け入れるだけ
それをどう乗り越えていくかに
私の活路と幸いがある
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改めてそう思うのです。
きみこ