“我”抜き人生を生きる

ゆうじです ^ ^

 

一昨日は中秋の名月でしたね

今年は鮮やかにみえました🌕

 

 

今日は

“我”抜き人生を生きる

です

 

 

『おかげマインド

〜自分軸と自信を育てるために〜』

 

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あなたの周りに

「わたしが(我)やるべきこと」

「おれが(我)やらなきゃ」

と、言われる方

みえませんか?

 

 

 

あるいは、あなた自身

そう思うこと、ありませんか?

 

 

 

この時の“が”は

自我の“我”とみてよいでしょう

 

 

 

人はどれだけ

“我”を背負って生きているのか

 

 

 

僕は整体をさせていただく中で

気づいたことがあります

 

 

それは、お客様の疲れの中で

肩や背中の疲れを主訴とされる方が一番多いこと

 

*「こなきジジイ(『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクター)を

背負っているような感覚」

と、仰られるお客様もみえます

 

 

 

肩こり症の方にこれをお話しすると

「、、だよね」

と、なりますよね

 

 

“我”の背負い

つまり責任感をおぶっていることが

肩とか背中のこりに大きく関係しているように感じています

 

 

 

「自分が、自分が」と言っている方の多くは

全部自分が責任を背負いがちです

 

 

 

全部自分が背負うというのは

側(はた)から見て

「責任感が強い」と思われがちですが

 

見方を変えれば

傲慢とも捉えられるのではないでしょうか

 

 

 

なぜなら

本来、自分がやれることは

ほんのわずかしかない筈なのに

 

そう仰っている方の多くは

全体の責任を一人で背負おうとしている

 

 

 

諸法無我(般若心経“空”の理念の一つ)

の概念に基づいて考えるなら

人は皆、ご縁の力(連帯の力)によって生かされています

 

 

 

良きことも悪しきことも

ご縁によって導かれた結果

 

 

 

「私(俺)だけ」

の功績になることも

 

「私(俺)だけ」

の責任となることもないわけです

 

 

 

私ができるほんののわずかなこと

そこに真摯に向き合うこと

それだけで十分なのでは

 

 

 

また、もしそれが許容されない世の中であるなら

より寛容な社会の仕組みが

求められているように思います

 

 

 

“我”抜き人生を生きるとは

私の周りを信じることです

 

 

 

もし信じられないとしても

「信じようとすることを諦めないこと

ではないでしょうか

 

 

 

僕は、若い頃、まさに

「俺が、俺が」

という、我が強いタイプでした

 

 

 

「俺“が”家族を守らなきゃ」

「俺“が”職場をまとめなきゃ

引っ張ってかなきゃ」

「俺“が”子供の規範にならなきゃ」

 

 

 

俺ができることなんて微々たるものなのにね

つまり思い上がっていたのです

 

 

 

「俺“が”」

それは自己満足の生き方でしかないことを 

歳を重ねてから知りました

 

 

 

読まれている方の中に

もし

「私が」「俺が」

と、頻繁に口にされている方がみえたとしたら

 

“我”抜き人生に

一度トライしてみませんか?

 

 

 

今日も読んでくださり

ありがとうございます。

おかげさま(=^x^=)

 

 

 

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自由に

自然に

自分らしく

 

 

 

  

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