承認欲求が暴走することの悲劇

今日は

承認欲求が暴走することの悲劇

 

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人間の性質の一つに

承認欲求があります。

「認めて欲しい!」

 と言う欲求ですね。

 

 

 

「それがあるから頑張れる!」

時に承認欲求は、駆動する燃料になります。

 

ただ、それもほどほどのところで

落ち着いてくれればいいのですけどね。

 

 

暴走しだすと、それを抑えるのがたいへんに。

手に負えなくなります。

 

 

あなたは、承認欲求がどこからくると思いますか? 

認めて欲しいの根っこには何があると思いますか?

 

欠乏感があります

 

 

欠乏感は満たされていない感覚。

では、なぜ人は満たさないのでしょう。

 

他の人には有るが自分には無い

むかしの自分には有ったが、今の自分には無い

比較が承認欲求のもとになっているんです。

 

 

 

欠乏感を埋めようとする行為は

「私は満たされていない」

底のない空洞を埋めようとするようなものです。

 

 

 

人は認めてもらうため、たゆまぬ努力を重ねます。

「私は特別」

執拗な“特別”アピールという形で。

 アピールが空回りすると、また自分をさらに傷つけることになります。

 

 

しかし、それだけならまだしもです。

本当に問題なのは

 

 

 

自分と比較して他は劣っている

自分の優越性を知ってもらうために

排他(他の人や、その人の考え方を排除しようとする)

動きに繋がった時です。

 

 

 

そうなったとき

 

承認欲求の暴走が始まります。

 

 

 

暴走により

結局、誰が一番割を食うか

誰が一番の犠牲者となるか

 

 

それは“自分”なんです。

 

 

 

人との比較という入り口から

自分を認めてもらおうとすると

必ず、悲しい結末を迎えることになります。

 

 

 

もし「比較から満たされる」ことを信じていたとすれば

永遠に満たされることはないでしょう。

なぜなら

比較の源はエゴ、怖れだから

怖れを無くしていかないことには満

たされることはありません。

 

 

 

仮に目標達成し

一時満たされる感覚があったとしても

また、次の比較の対象が生まれる。

 

 

 

比較の対象にendはありません。

まるで次々繰り出されてくる勧善懲悪のアニメのように。

対象が出てきた時点でまた苦しむことになるのです。

 

僕自身、振り返ってみると

暴走していた時期が幾度かありました。

 

 

また、承認欲求が強なっている方を

何人もみてきました。 

珍しいことではありません。

 

 

そんな過去の自分をみた時

幸せとは言い難い状態でした。

他の人を見るとき、幸せを享受しているようにも見えませんでした。

 

 

 

 

これを読まれているあなた

もし、承認欲求で悩まれているなら

それは恥ずかしいことでもなんでもありません。

普通にあることですから。

 

 

でも、それが苦しみにまで達しているなら

それを機会に一度、承認欲求について真剣に向き合ってみるのも良いかと思います。

 

 

自分と向き合うことは、自己癒しの一歩です。

 

今日も読んでくださり

ありがとうございます。

おかげさま(=^x^=)

 

 

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想像してみてください

今まで相手に何か言われ

頭がまっしろになっていたあなたが

自分の意思を、はっきり

相手に伝えられるようになっている未来を

 

 

  

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