過剰な謝意は他人軸の誘惑

 

ゆうじです ^ ^

 

今日は

過剰な謝意は他人軸の誘惑

 

■ 

 

すべてではありませんが

他人軸で悩んでいる方に共通していることがあります

 

 

 

それは、

「過剰な謝意」

を表現されることです

 

 

 

つまり

「ありがとう」

「すみません」

が過ぎることです

 

 

そりゃあ、事態によっては、

過ぎるくらいでいいこともあるかもしれません

 

 

 

ここで取り上げる謝意は

“そこまで”

っていう、状況でです

 

 

 

例えば、少し待ち合わせの時間に遅れただけで

そんな過剰に謝らなくていいんです

 

 

 

 

「たくさん採れたから」と

お裾分けでもらっただけの野菜なのに

何度もお礼を言わなくていいんです

 

 

 

 

さらには

「すみません」

「ありがとう」

に、その理由を細かく説明しなくてもいいのです

 

 

 

それを、言わなければいけない気持ちの

元を辿っていくと

それは、どこに行き着くのでしょう

 

 

 

 

「オーバーに言わなければ、

相手に誤解されるんじゃないか」

「気持ちが伝わらないんじゃないか」

 

果ては

 

「嫌われるんじゃないか」

「好かれたい」

 

 

 

ひょっとして、そこに突き当たることもあるのでは

 

 

 

 

相手の反応を気にしての

謝意であれば、それは余分なもの

削っても良いのではないでしょうか?

 

 

 

 

相手の反応イメージを払ったうえで

表現したいのであれば

それはエゴではありません

 

 

 

もちろん謝意って、儀礼的にすることもあるので

何でもかんでも否定するつもりはありません

 

 

 

ただ、本意でもないのに、

「相手からどう見られるか」

の怖れ(エゴ)からの発語であれば

 

 

 

それを繰り返していくことで

他人軸を、より育てることに

 

 

 

ひょっとして

「どうして私はそこまで、謝らなければいけないんだろう」

「どうしてそこまで、お礼を言わなきゃいけないんだろう」

 

 

 

その状況に遭遇するたびに

「本当の私」は、「怖れを感じている私」に

そう囁いているのかもしれません

そして、潜在する自己犠牲感を強くしているかもしれません

 

 

  

もちろん「ありがとう」「すみません」

は、大切だと思います

 

 

 

だけどそれも過ぎると

嫌味になってしまうのです

 

 

 

 

「そこまで」という時は

一言

丁寧に心を込めて

謝意を伝えれば、それで十分なのではないでしょうか

 

 

僕は、「おかげマインド」の中で

“怒り”を“感謝”に変容させることを

伝えていますが

 

 

 

重要なのは謝意の複写ではありません

大切なのはその質だと思っています

 

 

 

 

質への意識、それを習慣化していくことだけでも

自分軸を育てることに繋がるかと思います

 

 

 

 

※幻冬舎から刊行される電子書籍

『おかげマインド』ですが

 

予定より1ヶ月早く

7月末に配信されることになりました

ご報告まで

 

 

 

 

今日も読んでくださり

ありがとうございます

おかげさま(=^x^=)

 

 

■■■■■■

 

自由に

自然に

自分らしく

 

 

  

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