エゴを放し飼いにしない

FOREST=主人と私は

≪自由に自然に自分らしく≫

をFORESTとしても、個人の生き方の指針としても掲げています。

それが、誰もが幸せで充実した人生を生きる秘訣だと考えているからです。

しかし、その中の特に≪自由≫という言葉は、概念(言葉の意味)を取り違えると、不幸と不満が充満した人生になってしまいます。

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社会(家族も最小単位の社会として含みます)の中で生きていると、時折、自分の常識では到底図り切れない人物と遭遇します。

分かり易く言えばエゴ(すべてが自分の思い通りにならないと気が済まない=相手は自分の為に都合よく動いてくれると錯覚しているので、それが叶わなければ相手に対して何をしても良いと思い込んでいる)をむき出しにしているタイプの人たちのことです。

こういう思考の人々は、自由を履き違えて生きています。

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一日前もツイッターで「バスに乗り合わせた見ず知らずの人物に、赤ちゃんの抱っこ紐のバックルを故意に外され赤ちゃんを落としそうになった女性」の目撃情報がバズっていましたが、そういう常識では想像もつかないような行動をとる人は一定数います。

私自身も、自分や家族がストーカー被害に遭ったり、何かをしたわけでもないのに人から暴言を吐かれたり威圧されたことがあります。

こういう不当な行為をされたらまずはしかるべき対処(通報する・自衛する)が必要です(そうするべきです)。でもそれをした後でも残り続けるのが心の乱れ(いわゆるトラウマやPTSD状態)です。

勿論、

相手に対する怒りや憎しみや悔しさ、社会に対する恐怖や不信感、悲しさや情けなさや無力感など自分に対するネガティブな思いは、湧いてくるのが当たり前です。それが自然な反応です。

けれど、

それ(嫌な出来事そのものだけでなく、それが終わった後も自分の心が影響を受け揺れ続けている状態)が、自分にとってどれだけ不利益なのかを考えた時、どこかで、それも早めに、ケリをつける必要があります。

心をいかに早く癒し、自分に与える影響を0(ゼロ)に近づけていくかが、嫌な思いをした人の最重要課題となるわけです。

それは、自分の人生を過去から解き放ち自由にすること。

嫌な出来事やその相手から自由になることを意味しています。

器の底に、天窓の青空が微かに移り込んでいます。

憂いの花が咲く心の奥にも
青空はいつでも在り
あなたに見つけてもらう瞬間を待ち続けています。

過去から離脱し、その影響を受けない自分に変わってくことや立ち直ることは、とても苦しいことです。

泣き寝入りするみたいで悔しいですよ。腹立たしいし、ムカつきます。

「解放される?そんなことしたら私が泣いたことは無意味になってしまうじゃん?」と憤りたくなります。被害者意識とはそういうものです。

被害者の立場は辛いです。でも同時に、

相手を罪人にしていられるという点において、居心地が良く感じるものです。だから人は嫌な出来事で心を乱されることからなかなか抜けられないのです。

そして、罪によって相手や自分を縛り付ける思考こそ、エゴそのものであり、

エゴは私たちを幸せにはしてくれません。絶対に。

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本当の自由とは、私を幸せにしてくれる自由とは

乱れて暴れる心を野放しにし続けるという自由ではなく、

乱れ暴れる心を受け入れた上で、そこから解放される方を意識的に選択することです。

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嫌な体験、怖い思いをしたことのある皆さん。

本当にお辛かったですよね。

怖かったですよね、失望し絶望し、自分や人を信じられなくなりましたよね。

これだけ苦しい思いをしたあなたが、そんなあなただからこそ、

一刻も早く底から抜け出し、心を安らげ、幸せに向かって歩んでいくべきだと思いませんか?

そうなる権利があると思いませんか?

それが真の意味の自由であり、その第一歩が、自分の心の乱れを野放しにせず、手当てすることだと私は思います。

きみこ