息子に手を上げた日

 

「すべてを“おかげ”」

 

自利利他⇄利他自利

のループに入って

心の最適化をはかる

 

おかげマインドスクール、講師のゆうじです^ ^

 

今日は

息子に手を上げた日

 

 

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前回のブログで

息子のことに少し触れました

 

 

今日は、その息子とのヒビ割れた関係を

修復に向かわせた出来事についてお話ししますね

 

 

 

 

今から遡ること14年

当時、中学2年生の息子との関係は完全に冷え切っていました

 

こちらから質問したことには

目線を外し、完無視

さらに答えを問うと、めんどくさそうに生返事

 

 

言葉にこそ出しませんでしたが

「ウザッ」と

さぞや思っていたことでしょう

 

 

そんなある日のこと

僕は彼の生活習慣について注意しました

 

 

すると彼は、返事をする代わりに

「チッ」と、舌を慣らして2階の子供部屋に向かう

 

 

その時

僕は頭の中の配線がショートするのを感じました

 

 

階段を一気に駆け上がる

部屋のドアを開けるなり

「その態度、なんだ!」

 

 

次の瞬間、僕は彼の頬を右手で2度叩いていた

息子はよろけながらも、黙ったまま睨み返す

 

 

 

僕はその後、とても気分が悪くなった

それは息子の態度に対してでなく

 

自分が彼にしたことに対して

そして、自分の心を制御できなかったことに対してです

 

 

僕は子供の頃

親から躾の一貫として

時々殴られていました

 

 

当時、それは珍しいことでなく

今のように虐待という言葉もあまり聞かなかった時代です

それでも、「なんで殴られなきゃいけないのか?」

そんな疑問を子供心に感じていました

 

 

 

しかし、時代は変わりました

というより、時代云々の前に

どんな理由があろうと

手を上げていい理由なんてない

 

 

 

なぜ、自分は手を上げてしまったのか

心に問いただしました

 

 

・言うことをきかない息子への鬱積

・軽んじられたことへの腹立ち

・「こんな人間になって欲しい」ことへの執着

・「人として、男としてこうあるべき」偏ったものの見方

・言葉を尽くしても届かないことへの虚しさ

 

 

当時の僕は、かなり未熟な上に頑固者

 

何かにつけてこだわりが強く

曖昧を嫌い

「正しい」「正しくない」2択のジャッジしか持たず

すべてにおいて、白黒はっきりつけたがっていました

 

 

つまり「良いことは良い」「悪いことは悪い」

「悪いことは正さなければ息子のために良くない」

 

 

この子の行く末を案じ、軌道修正するためなら

少々の意識のズレなど厭わない

そんな親としての使命感みたいなものに支配されていたのですね

 

 

しかし息子は、それを見透かすように

奔放な生き方をしている

 

 

 

その実、そんな彼のことを

自由に生きれなかった子供時代の自分が

羨ましがっていたのかもしれません

 

 

 

僕はその一件で

「彼への接し方、自分の心の在り方を

見直さなければいけない」

と思うようになりました

 

 

 

そして、まず彼の生き方・考え方を否定することなく

受け入れることに努めるようにしました

 

 

 

その後、反抗期が即おさまるわけではなかった

しかし、少しずつ親子間にあった深い溝は埋められていく

そんな感覚をもちました

 

 

 

それから3年後

高校3年に進級する前の春休み

 

 

彼は高校生でロックバンドを組む

そして、ギタリストとして仲間とLIVEをすることに

 

 

僕は当時、肩代わりしていたレスポール(ギター)の代金(8万円)を

チャラにする代わりにLIVEチケットを譲り受けました

 

 

 

そしてLIVE当日

 

 

会場での演奏が始まった瞬間

なぜだろう

とめどない涙が溢れでた

 

 

 

あんな楽しそうに

生き生きと

仲間と演奏している

 

 

 

そこには、家ではついぞ見せたことがない息子の姿があった

 

 

 

ここに至るまでに

息子なりに紆余曲折あったんだろうな

迷いながらも精一杯生きてきたんだ

 

 

なぜかここに至るまでの道程を想像

 

 

 

それに対し、僕がしなければいけなかったことは

「こうなって欲しい」を押し付けることではなく

 

 

もっと彼の生き方を尊重し

さりげなく応援してあげることではなかったのか

 

 

 

子供は所有物ではない

それはわかっているつもり

 

 

だけど、「自分の思うようになって欲しい」

が強くなると

気づかないうちに所有物化してしまっている

 

 

 

それも、「愛していればこそ」

という耳触りのいい言葉に置き換えてしまえば

免罪符になってしまう

 

親としての役割を果たしているという大義

自分を納得させるための安堵にもすり替えられる

 

 

でも、じつは大人のエゴ(怖れ)であったりする

 

 

 

後になって思ったことですが

 

自分の中の怖れが

「息子にこうなって欲しい」

をつくっていたとわかった時

 

息子がどうのこうの前に

自分の怖れを手放すことが優先課題であることに気づいた

 

出来事だったなと

 

 

 

LIVE以降、彼との関係はさらに縮まりました

 

そして今では(現在28歳)、帰省すると

互いに酒を酌み交わしながらの談笑

 

 

「彼女できたの?」

とか、恋バナも普通にしあえる親子関係になっています

 

 

 

8万円のチケット代

普通に聞けば高いですね 笑

 

 

しかし僕らの中では

十分、いやそれ以上の体験をギフトしてくれた

そう思っています

 

 

 

最後に

 

LIVE直後のことですが

「父さんが今まで観たLIVEの中で、最高にクールだったよ」

 

そんな言葉を

自然にかけられた自分にも

軽い驚きがあったこと、記憶しています

 

 

 

 

今日も読んでくださり

ありがとうございます。

おかげさま(=^x^=)

 

 


 

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